午前8 時半、いつものように今堀 潔の一日が始まる。彼はホテルの専属ドライバーである。空港への送迎、都内のビジネスや観光、ときには箱根や日光に足を延ばすこともある。その日、車寄せで待つ今堀の前に現れたのは、70歳代と思われる夫婦と若夫婦――あるいは兄妹かもしれない―― の家族4人だった。高齢の男性は杖をついていた。走り出して間もなく婦人が話しかける。「夫は足が不自由なので、私たちが街歩きをしている間は車で一緒に待っていてください。ただしずっと座っているのは体に良くないので、時々外に立たせて」と。
最初の目的地、原宿で表参道に向かう一行と別れ、2 人は車に残った。仮にロバートさんとしておこう。今堀は時折ロバートさんを誘って外に立った。「東京は暑いね」。遠来の老人が口を開く。「私がニューヨークの大学で学んだのはもう50 年以上も前のことだが、その時、日本人の留学生がいて親しくしていた。卒業以来会っていないが、どうしているだろう。確かお父さんは小説家だ。知っているかい?」。しかし親子いずれの名前も、今堀に心当たりはなかった。手元のスマートフォンで調べてみようと思ったが、そのとき街を巡ってきた一行が車に戻り、話はそれきりになった。
終業後は日報を書く。気付いたことがあればコンシェルジュをはじめとするホテルのサービス担当スタッフ宛てにメールを送る。それが今堀の日課だ。その日は、ロバートさんが消息を気にしていた日本人がいる、ということを書いた。一応伝えておこうというくらいの軽い気持ちだったがなんとなく老人の様子が気になった。そのメールを受けて、チーフコンシェルジュがすぐに動く。「ご家族の滞在はあと7 日間。なんとかお捜しできないか」――。
まずお父様である小説家の著作を調べた。ご家族が登場する可能性のあるエッセーと私小説をひたすら読む。するとその中に長男の消息に触れたものが何か所かあった。ニューヨークの大学にも留学されている。尋ね人はこの方ではないか? さらにある文学館でご本人が挨拶をされている記述を見つけ、連絡して事情を話すと親族の連絡先を教えていただくことができた。しかし、その電話はつながらなかった。仕事上つながりのありそうな会社に連絡しても消息はつかめず、時は過ぎた。しかし、その3 日後の朝だった。これでだめならと諦めかけていた親族への電話がとうとうつながった。事情を説明したところ、「本人に確かめましょう。本人が話をしたいと言ったらホテルに電話をさせます」と約束してくださった。すると、20 分後にチーフコンシェルジュ宛てに一本の外線が入った。
「よく私が分かりましたね。懐かしい。この電話をつなぐことができますか?」。コンシェルジュはちょうどレストランで朝食を取っていたロバートさんに「サプライズ!」と言って電話を渡した。いぶかしげな表情で電話を受け取ったロバートさんだが、すぐに弾んだ声のやりとりになった。さらにその2 日後、ロバートさんはホテルのラウンジで旧友と再会。そこには、時間を惜しむように話し込む2 人の姿があった。
滞在最終日の朝、ホテルの車寄せには今堀が現れ、いつものようにドアを開けてお客様の乗車を待つ。「いろいろありがとう。楽しかった」。ロバートさんが今堀の手を固く握る。「ぜひまたお越しください。お待ちしています」。またひとつパレスホテル東京に生まれた小さな物語を乗せて、今堀の操る黒いワンボックスは空港へと走り去った。
Text: Arata Sakai
Photos: Yoshihiro Kawaguchi
この記事は、2019年2月発行の「THE PALACE」Issue 01掲載の内容をベースに、2022年10月現在の情報として掲載しています。2019年の取材撮影時の写真やテキストを使用しているため情報が更新されていない部分もございます。ご了承ください。
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