結婚披露宴や祝賀会、歓送迎会などの催しには必ず司会者が立つ。皆同じだろうと人は思うかもしれない。確かにマイクを片手に流暢に、そして臨機応変に進行していく様子は、どの司会者も同じに見える。しかし、もしその人が婚礼司会者として活躍する荻原理美のことを知ったら、きっとその考えには変化があることだろう。
17年前、荻原はウエディングプランナーをしていた。新郎新婦にふさわしい披露宴を企画し、当日は陰で見守る。しかし、自分が思い描いたものがその通りに表現されないもどかしさを何度も感じた。司会者の話す内容や言葉遣い、表情や立ち居振る舞いで、披露宴の“色”は決まる。新郎新婦の人柄や想いを代弁できるのは司会者であり、プランナーには手出しができない。それなら婚礼の司会者になろう。そして本当に二人らしい披露宴をつくろうと荻原は思った。
荻原は披露宴の1か月ほど前までに新郎新婦との面談の機会をもつことにしている。当日の進行の確認が大きな目的だが、必ず2時間を予定してもらう。段取りをなぞるだけなら、これほどの時間はいらない。しかし、荻原が聞きたいのは二人の人生そのものだった。「結婚式は過去と未来をつなぐ大切な一日です。ですから私は、新郎新婦のお二人がどういう人生を歩んでいらしたのか、ご家族のことやこれまでの人生で関わってきた人のことも含めてうかがうことにしています。ヒアリングの助けになればと、心理カウンセラーの勉強もしました。人生の歩みのなかで、こういうものを大切にして生きていらしたんだなと理解したうえで、ではどんな披露宴にしましょうか、とコンセプトを練り上げていくんです」
荻原は、多くの司会者が当日の頼りにする台本もつくらない。大切なのは、細かいセリフではない。結婚式という節目の一日だからこそ生まれる新郎新婦とそこに関わる人たちの、溢れるような想いを未来へとつないでいく、その仲立ちをすることこそ司会者の役割だと思うからだ。こんなことがあった。
その披露宴では、パーティーの結びに行われることが多い親御様への手紙の朗読はしないことになっていた。しかし、事前のヒアリングから、荻原の心には本当にそれでいいのだろうかという気持ちが残った。新婦は幼い頃に母親を病気で亡くしている。自身と弟、小さな二人を懸命に育てたのは父親だった。シングルファーザーの苦労は察するにあまりある。加えて思春期を迎えた娘と父親の関係は難しい。実際、彼女は苦悶していた。「私ひどかったんです」と、荻原に語ったエピソードがあった。「中学生の頃、父親がお弁当をつくって持たせてくれました。でも私のお弁当はなんだか茶色いんです。みんなのお弁当はカラフルでおいしそうなのに、私のだけ違う。恥ずかしくて蓋を開けられなかった。そのまま食べずに持って帰っていました」。それがどんなに残酷だったか、社会人になってわかったという。「早起きしてお弁当をつくって送り出し、仕事を終えて帰宅してからは、夕食の支度や家事に追われる。息つく暇もなかったと思います。そのときに、手も付けていないお弁当が目の前にあったらどんな気持ちだったろうと。後悔の気持ちと、そして感謝しかありません」
荻原が聞いた。「そのお気持ちをお父様に伝えたことはありますか?」「ないです。今さら照れくさくて。人前でわざわざ言うことでもない気もするし、お父さんもそういうことはやらないでくれと言うんです……でも、本当はこういう機会でもないとずっと言えないだろうから、伝えたほうがいいのかな」。新婦の心は揺れていた。「では、手紙だけ書いて、読まずに渡されたらいかがでしょう?」「ああ、それはいいかもしれないですね。書いてみます」。新婦の顔が少し明るくなった。
結婚式当日、荻原は緊張した面持ちの二人に近寄って「今日はよろしくお願いします」と、改めて挨拶する。新婦は手紙を持参していた。
式も無事終わり、披露宴に移る。新郎新婦の入場、主賓のスピーチ、ウエディングケーキ入刀へと進んでいく。荻原は打ち合わせで聞いた新郎新婦の想いを、そしてその場に溢れるゲストや家族の祝福の想いを、代弁者となって言葉を紡いでいく。
会食に移り座が和んだ頃合いを見て、荻原は新婦のお父様のテーブルに歩み寄った。「バージンロードを歩かれて、いかがでした?」「こんな日が来るとは思ってもいませんでした。聞いていらっしゃるかもしれないが、娘は一時ひどく私に反抗して、ずいぶん嫌われました。だから今日は本当に嬉しかった。妻にも“おい、無事に巣立ったぞ”と報告できるような気がしています」「頑張られたんですね」「いやどこまで娘のことをわかってやれたかと思うと心許ない。でも私は娘に感謝しています」
その言葉を耳にして、荻原は尋ねた。「お父様としては、やはり花嫁からの手紙というのは読んでほしいものですか? 」「それはそうだね。娘が生まれたそのときから父親というものは、みんなバージンロードを並んで歩き、最後に花嫁からの手紙を読んでもらうことを期待しているんじゃないかな」
「お父様は読んでほしかったんだ」――そう知ってからの荻原の動きは速かった。チームであるウエディングプランナー、会場の責任者に連絡を取っていきさつを話し、個室が取れるかを打診。カメラマンにも少しだけ時間を取ってほしいと相談した。間もなくすべての段取りを調えたところで、荻原は新郎新婦にお父様の気持ちを伝える。「よかったら、お父様を別室に呼んで、弟さんと三人で、家族だけの子育て卒業式をやりませんか?」。もちろん二人は賛成だった。
披露宴がおひらきとなって送賓も済み、記念写真の撮影へと移るわずかの時間を縫って、個室に家族三人とカメラマン、プランナーが集合、荻原が加わった。「ではこれよりお父様の子育て卒業式を執り行います」とセレモニーの開始を宣言。新婦が手紙を朗読した。「お父さん、今日まで本当にありがとう……」。涙ながらの朗読にお父様は号泣、弟さんも、そしてカメラマンもプランナーも皆大粒の涙を誰はばかることなく流しながらの卒業式になった。
「ああ、よかった」――荻原も涙を拭いながら、卒業式ができて本当によかったと思った。きっとお父様も嫁いでいくお嬢様も、晴れ晴れとした気持ちで、それぞれの人生に踏み出していくことだろう。大勢の前でマイクを握って話すことだけが司会者の役割ではない。新郎新婦との打ち合わせや、当日の列席者やご家族とのやり取りで知った出来事や心の奥に隠された想いを、家族の歴史が新たに刻まれていく婚礼の日に、しっかりとつないでいくことも司会者の役割なのだ。それが担えたありがたさを、荻原は噛みしめていた。
Text: Arata Sakai
Photos: Yoshihiro Kawaguchi
この記事は、2021年2月発行の「THE PALACE」Issue 04掲載の内容をベースに、2023年4月現在の情報として掲載しています。2021年の取材撮影時の写真やテキストを使用しているため情報が更新されていない部分もございます。ご了承ください。
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