2022年9月某日――ドイツ・ミュンヘンの市街にオフィスを構える、とある特許事務所での午後。その日も慌ただしく時間が過ぎ去り、ひと仕事終えたスタッフは、ロビーで閑談を楽しんでいた。その背面の壁に飾られているのは、ミュンヘンをはじめ、ロンドン、パリ、ニューヨーク、東京など世界の都市の時刻が刻まれた大きな「世界時計」だ。スタッフはコーヒーを片手におもむろに世界時計を眺めては、異国のクライアントや次の長いバカンスで訪れたい旅の話に花を咲かせていた。
――この世界時計がはじめて時を刻んだのは、ドイツから約9000km離れた、異国の地、ここ日本だ。現パレスホテル東京の前身、パレスホテルが1961年に開業したときに、1 階ロビーのクローク脇に配されたのがこの時計だ。世界地図を木製の板でかたどり、デジタル電光板が10都市の時刻を示す当時としては画期的な意匠と技術。ホテル開業の3年後の1964年には、東京オリンピックで日本中が沸き、日本人の海外渡航が自由化されるなど、日本と世界の距離が少しずつ近づいていた、そんな時代に生まれたホテルのシンボル的な存在だった。丸の内という土地柄、当時は多くの外国の金融ビジネスマンがホテルに宿泊。仕立ての良いスーツに身を包んだ彼らは、世界マーケットの動向をこの時計で追った。週末前の金曜となると、ロビー奥のバーは人で溢れ返り、スタンディングでビールやステーキサンドを楽しみながら賑やかに情報交換をする、まるでウォール街のような活気がこの時計とともにあった。
そんな世界時計が、日本から海を渡り、ミュンヘンの地へ辿り着くまでには、時計の誕生からおよそ半世紀もの長い歳月を待つこととなる。
パレスホテルは、開業から48 年目にあたる2009年にリニューアルのため閉館した。ホテルの顔としてお客様をはじめ、ホテルのスタッフにも親しまれてきた世界時計は、2012年の「パレスホテル東京」としての再オープン時には、館内に設置されず、廃棄が検討されていた。長年、愛着をもって使用してきたスタッフのなかでは、なんとか残したい、という強い想いもあったが、古い機械式の時計は、メンテナンスのための部品探しや、修理できる技術者を見つけることも困難であった。結果として、スタッフにとって、自分たちと同様に、長年、お客様を見守ってきた「同志」に、別れを告げることが決まった。
そんな折に「世界時計をぜひ引き取りたい」という申し出が突如、ホテルの参与を務めていた藤田康二のところに届いた。手をあげたのは、ドイツに拠点を置く特許事務所の共同経営者のポール・タウホナーさんだった。ポールさんはじめ、特許事務所のスタッフは、ドイツに進出している日本企業と取引をしており、40年近く前から、同ホテルを利用していた。美術収集家としても豊富な知識をもつポールさんは、ホテルに滞在するたびにこの世界時計を目にし、オレンジを切ったようなユニークな形のアール・デコ調のデザインにとても興味をもっていた。当時のことについて、藤田はこう振り返る。
「ポールさんはじめ、特許事務所の皆様には、長年ホテルをご愛顧いただき、お客様とホテルマン以上に、親しくさせていただいていました。ホテルがリニューアルすることをご来館の際に真っ先にお伝えすると、ポールさんは大変驚かれていました。また、新しくなるホテルに、『世界時計』が受け継がれないことを知ると、とても残念に思うとともに、『それでは、我が社で譲り受けることは可能なものか』と申し出てくださいました」
ポールさんからの申し出に、藤田は、すぐに社内での調整に動いた。大きな設備であるがゆえに、簡単にお渡しできるものではなく、またどのように譲渡できるものかも見当がつかなかった。ただ長年のお客様である、ポールさんの想いにお応えしたい、という気持ちで、社内の様々な担当と協議を重ねた。藤田は言う「お客様のご要望は可能な限り叶えて差し上げることがホテリエの信条。当時、『ホテリエはカウンターの中でお客様と接するのではなく、外に出て接することを大切にしなさい』というホテルの入社時に社長から言われた言葉も思い起こしながら、社内にかけあってみました」。
そんな社内調整が結実し、譲ることが決定した。この知らせを藤田から聞いたポールさんは、とても喜んでくれた。
2009年1月、ホテルは閉館を迎える。営業最終日にはパレスホテルの最後を惜しむ特許事務所のスタッフが日本を訪れた。当時の様子をポールさんはこう振り返る。「世界時計の移送は依頼した日本の専門業者へお任せすることができましたが、パレスホテルの歴史、そしてともに歩んできた大事な時計を譲っていただくことへの敬意を尽くしたいという想いがありました。ホテルが閉館する日、スタッフの皆さんがエレベーターの前に並んで挨拶してくださった光景がとても印象的だったと聞いています」
閉館の翌日に世界時計の撤去作業が行われた。6枚の大きな木製パネルと分解された制御盤の梱包は、相当大掛かりなものとなった。製造したメーカーは不明で、配線図なども残っていなかったため、ミュンヘンへの移送後も調整は続き、特許事務所の物理や工学、IT 専門の共同経営者が制御盤を確認しながら慎重に作業を進めていった。作業が整うのに約2年の時間を要したという。時刻のデジタル表示は真空管式からLEDライトの液晶式デジタル表示に変更。ひとつひとつ、試行錯誤を重ねながら調整を進め、2011 年3 月、ついに、ドイツにて、世界時計は再び時を刻み始める。
「オリジナルの時計に示されていた 34 都市のなかにミュンヘンは含まれていなかったので、ミュンヘンの文字をプラスしました。サマータイムには時間が遅れてしまったりするなど、決して現在もパーフェクトとは言えませんが、オフィスのエントランスロビーに設置された時計は事務所の『顔』として、今日も大切なお客様を迎えています。パレスホテルが開業した1961年は弊所が創業した年。偶然ではありますが、何かとても深いご縁を感じています」とポールさん。
日本で生まれて時を刻み、海を渡った世界時計が過去と未来をつなぎ、人と人をつないでいく――これからも今という豊かでかけがえのない時間を知らせてくれるのだろう。
Text: Ayako Watanabe
Photos: Sadato Ishizuka
この記事は、2023年2月発行の「THE PALACE」Issue 06掲載の内容をベースに、2024年2月現在の情報として掲載しています。2023年の取材撮影時の写真やテキストを使用しているため情報が更新されていない部分もございます。ご了承ください。
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