幅50cmを超える舟形の白釉の器に、鰆の柚庵焼や穴子の八幡巻、春日子鯛の寿司などを手早く、まるで一幅の絵画のように美しく盛り付けていく――泉 槙悟は和食部門の料理人だ。器は一般に手に入るものではない。この料理を完成させるために、泉自身が土をこね、焼き上げた。泉の仕事は、お客様に喜んでいただく料理をつくること。ただし、食材選びや調理だけが和食の料理人の仕事だとは考えていない。
子どもの頃からつくることが好きだった。高校在学中に考えていたのも大学の工学部に進むことだ。もしも仲のよい級友が一緒に日本料理の学校の説明会に行かないかと声を掛けなかったら、和食の料理人という今の泉は存在しなかったかもしれない。確かに釣りが好きで、釣った魚をさばいて家族や友人に振る舞ったことはある。しかし、料理を仕事にするという気持ちはなかった。
「誘われたのが和食ではなく調理師免許を取るための学校だったら、私は行かなかったでしょう。友人の言葉の中で私の心に響いたのは、調理ではなく和食でした。釣り好きの高校生に深い考えがあったわけではありません。しかし、和食は単に空腹を満たすためのものではなく、つくって終わりでもない。季節の味わいを大切にし、器の一つひとつや盛り付けにも気を配ることが求められる。また、手にする道具も繊細で、調理人の心がこもる。それは、日本人の自然観や美意識が凝縮された何か総合芸術のような世界だと感じていました。様々なものづくりもある。面白そうだと思いました」
生涯をかけて美食を追求した北大路魯山人は、自ら調理し、盛り付ける器も焼いた。「料理も芸術である」「食器は料理の着物である」など、数々の名言を残している――。
泉は最初の1年間、和食の基礎を学び、その後は日本を代表する温泉旅館の厨房で働いた。新人に与えられたのは、毎日倉庫に入って、その日のメニューに合わせて器を揃えて持ち出す仕事だった。どこにどういう器がしまわれているか、泉は誰よりも深く知る人間になり、どの料理にどの器を合わせるのか、料理長や先輩のセンスを体に染み込ませていった。さらに料理人としての修業を重ねて10年が過ぎる頃、泉はパレスホテル東京の和食部門に転身することになった。
泉の仕事は、調理に専念することではない。40名近い和食調理人と料理長の間に立ち、料理長を中心に泉も加わって決める季節毎のメニューや特別メニューを現場に伝え、実際にお客様の前に出す一皿として完成させることだ。器の選択や盛り付けを考えることも泉の重要な役割になる。洋食なら、絵が描かれる前の真っ白なキャンバスのような無地の皿が基本となるだろう。しかし和食は違う。料理とともに、その食材、その季節ならではの世界を表現しなければならない。どうしても納得のいく器がないときは自分で焼いた。
泉はパレスホテル東京に来てしばらく経つ頃から陶芸を学び、それ以来、自宅の窯で皿や茶碗などをつくっている。焼締から、織部焼風、鳥獣戯画を模写した染付まで、そのバリエーションは多岐にわたる。数はすでに1000点を超え、実際にレストランやラウンジで使われているものもある。大人数に振る舞う宴席料理のメニューを考えたときには、海外のゲストに和食の代表的なメニューである「茶碗蒸し」を楽しんでもらいたいと思い、自らゲストの人数分の器を焼き、大切なおもてなし料理を完成させた。
料理長・宮部敬二は泉の姿勢についてこう話す。「和食を志す者として、料理と同じように器を知ることはとても大切です。和食には器をはじめとした日本文化の様々な要素があり、その世界を極めようと努力する泉は頼もしい。その背中を見て若い料理人たちが学んでくれることを期待しています」
泉は、器づくりにとどまらず、日々手にする包丁にも特別なこだわりがあった。刃の長さや厚さ、握ったときのバランスなど、少しずつ買い揃えた20本以上のものを食材に応じて使い分ける。仕事の後はどんなに疲れていても、その日使った包丁を研いで専用の包丁箱にしまう。この木箱も自らデザインし、ヒノキの板材を買うところから自作したものだ。市販のケースがあるが、簡易なビニールレザー製で愛着のある包丁を収める気にはならなかった。どうしても自分の納得のいくものがほしかった。
そして4年前には新たに茶道の稽古を始めた。陶芸で知り合った友人に茶事に招かれ、その奥深い世界に魅せられたからだ。「和食の魅力は料理だけに終わらないその全体感にありますが、茶事の中にこそすべてがあると知りました。季節をいとおしむ心やお客様をお迎えして一期一会の時を持ち、お見送りするまでの様々な心遣いや趣向。これまで和食の世界で考えてきたことの終着点がここにありました」。最近、泉は自宅を建て替える折に、炉を切った本格的な茶室を構えた。おもてなしの真髄を茶の湯の世界でさらに学ぶつもりだ。泉は願っている。一人の料理人であると同時に、和食という美しい伝統文化の担い手でありたいと。
Text: Arata Sakai
Photos: Yoshihiro Kawaguchi
この記事は、2020年2月発行の「THE PALACE」Issue 03掲載の内容をベースに、2023年2月現在の情報として掲載しています。2020年の取材撮影時の写真やテキストを使用しているため情報が更新されていない部分もございます。ご了承ください。
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