持ち運べる“携行食”として、小箱にごはんやおかずを詰め込んだ「お弁当」。学校や職場に持参する日常のお弁当から、花見や観劇を彩る特別なお弁当まで、楽しみのシーンは幅広い。2016年の伊勢志摩サミットでは、各国首脳が集う国際会議のワーキングランチとして登場し、話題を集めた。現代はネットでの発信をきっかけに、動物やアニメキャラクターをかたどった「キャラ弁」が脚光を浴び、新たなフードカルチャーとして定着。時代とともに進化し、多様化するお弁当は計り知れない魅力を秘めている。
フランス語の辞書に「BENTO」と載るほど、今や海外にも広がりを見せている日本のお弁当。
「主食または主食と副食を容器包装または器具に詰め、そのままで摂食できるようにしたもの」と定義されているが、変遷を辿ると単なる携行食でない大成した食文化としての有り様が見えてくる。
お弁当の歴史は古く、ヤマトタケルノミコトが東国へ討伐に出かけた際、「御粮(みかれひ)」を食べたと『古事記』に記されている。御粮とは蒸した米を天日干しした干飯のこと。水やお湯で戻すと柔らかなごはんとなり、およそ20年は保存が可能という。干飯は軽くてかさばらないだけでなく、ビタミンB1を豊富に含むエネルギー源だったに違いない。
時を経て、室町時代には中国から伝来した蓋付きの容器「食籠」が、角形の重ね容器「重箱」に発展。江戸時代の裕福な商人たちは花見や茶会など季節の行事に合わせ、競うようにお弁当箱を誂えたという。蒔絵などの華やかな装飾を施すだけでなく、小皿、盃、酒を温める酒燗器まで備えて機能性を追求し、宴席を絢爛豪華に彩った。
一方、庶民の間では朝昼晩の三度食が一般的になり、付近に外食施設のない田畑での農作業、山での狩猟や林業、海での漁業を生業とする人々の胃袋を満たし、旅行や観光が流行すると、竹の皮や竹籠におにぎりを入れた簡易な「腰弁当」を携えるようになっていった。芝居見物が盛んになると、飯に卵焼き、かまぼこ、煮物を詰めた「幕の内弁当」が誕生。狭い場所で幕間の短時間でも食べやすいようにと、ごはんを俵形にする工夫が施され、今に受け継がれている。
昭和に入ると戦後の食糧事情が改善され、学校や職場に昼食としてお弁当を持参する習慣が広まる。お腹を満たすだけでなく栄養バランスや見栄えも考えられ、「愛妻弁当」など家族への愛情や絆を示す表現方法のひとつにもなった。
冷めてもおいしく、おかずがほかと似ないような味付けは、煮付けや和え物など和食の調理法や調味料が大いに生かされており、色合いのバランスなど細やかな配慮も行き届く。鶏そぼろ、炒り卵、桜でんぶや緑の野菜を盛り付けた「三色弁当」に、白飯の中央に梅干しをひとつのせて国旗を模した「日の丸弁当」は日本人に広く知られるところ。ビジュアルのためだけでなく、梅干しは殺菌・防腐効果があり、傷みにくいようおにぎりの具に握るのも理に適っている。
お弁当を詰める容器も発展し、水分を適度に吸収してごはんのおいしさを保つヒノキの弁当箱が登場。アルミニウムを加工したアルマイトの弁当箱が開発されると冬場はストーブの上に置いて保温・加熱するなど、温かく食べるための工夫もされた。
そして、平成から令和の現代。冷凍食品やレトルト食品が充実し、バリエーションはより豊かに。ネットでつながるこの時代だからこそ、世界を驚かせたのが日本の「キャラ弁」ブーム。人気キャラクターやメッセージを彩り豊かな食材で器用にかたどった“夢”のお弁当は、子どもたちにも大人気。見た目のインパクトと蓋を開けたときのワクワク感で好き嫌いの克服や食育にも役立っている。
時代の変遷や人々の暮らしぶりなど、日本人の生活感がありありと映し出されているのもお弁当の面白さかもしれない。
冷めてもおいしく味わえるよう食べるタイミングや味付けのバランスを考慮し、多彩な素材と技法で美食にまで昇華したお弁当。大樹を慎ましく植え替える盆栽、“小宇宙”と称される四畳半の茶室のように、精微なものを扱う器用さでコンパクト化することに価値を見出す日本人らしい美学が発揮されているともいえる。
工芸品や美術品にとどまらず、美食に事欠かない日本では一流の料理人やトップシェフたちもお弁当に創意工夫を凝らしている。東京・銀座に暖簾を掲げる、正統派の江戸前寿司店「銀座 鮨青木」の手毬鮨もそのひとつ。酢飯に仕事を施した魚介をのせて巾着で包み、キュッと締めてひと口大に丸く形つくられる手毬のような寿司。アートピースのように色とりどりに並び、まるで宝石箱のようだ。
「先代であり父の青木 義が1品だけ考案したという車海老と芝海老の身をほぐしてつくる『おぼろ』の手毬鮨をヒントにしました」とは、店主の青木利勝氏。
キリッと酢で締めたコハダを編み込んだり、細く切ったイカの鳴門巻きをネタにしたりと、ひと手間もふた手間も加えてあり、箸を伸ばす手も戸惑うほどだ。ほかにも、昆布で締めたもの、甘いもの、生ものもあり、楽しみは広がるばかり。時間が経ったほうがおいしい寿司ダネが多いのも、江戸前寿司ならでは。
「お客様が召し上がる時間に合わせて握っており、季節にあわせて、例えばウニも生でなく、夏場は軽く蒸してから握っています。おひとり様で召し上がるなら握りの折がおすすめですが、ホームパーティーやお持たせなどには見栄えのいい手毬鮨がいいですね。滞在先のホテルのお部屋で、最近ではご自宅でちょっとした贅沢が楽しめるのもお弁当ならでは」と、青木氏。
包みを開き、蓋を開けたときのお客様の顔を思い浮かべ、手技を尽くしたお弁当の隅々にまで、名料理人の矜持がうかがえる。
銀座 鮨青木
東京都中央区銀座 6-7-7
第3岩月ビル4階
Tel. 03-3289-1044
北から南に細長く、四季の変化に富む日本は山海の幸の宝庫。土地それぞれの特産品や旬の素材を使い、丹精込めて手づくりされる「駅弁」は旅に欠かせないご当地グルメでもある。
日本最大級のターミナル駅・東京駅の構内にある「駅弁屋 祭」は、北海道から九州まで、日本各地から約150種類もの駅弁が集まる大型専門店。朝5時30分の開店から観光客やビジネスマンで賑わい、最も多い時で1日2万食を販売したことがある駅弁の聖地だ。
「駅弁」が最初に販売されたのは明治時代。1885年、上野~宇都宮間が開通した際、栃木県・宇都宮の旅館「白木屋」がおにぎり2個にたくあん2切れを添えて5銭で販売したのが最初だとされている。1970年に大阪万博が開催され、旧国鉄が「ディスカバー・ジャパン」と銘打った大型キャンペーンを開始すると、鉄道を利用した個人旅行がブームに。これを機に地方色豊かな駅弁が次々と発売され、種類も充実していく。
日本の鉄道とともに発展してきた駅弁だが、特急の増発や列車のスピード化により停車時間・乗車時間が短縮。列車の窓も開かなくなり、次第にホームでの立ち売りも姿を消した。一方で百貨店での催事では活況を呈し、楽しみの機会は増加。駅中から、駅外へとニーズは高まっている。
「ひとつひとつ手作業で詰めているので、傾けても崩れません。衛生管理が非常に厳しいのが駅弁の特徴と言えます。現在、90社ある駅弁業者のうち7割が百年以上続く老舗です。われわれがつくるのは一過性のものではなく、後世まで受け継がれる百年弁当。駅弁は小箱のワンダーランドです」とは、日本鉄道構内営業 中央会事務局長の沼本忠次氏(2021年2月時点)。
小さな箱に詰められているのは、つくり手の思いと繊細な美意識。そこに気づいた世界中の人々が、日本人の食文化に魅了されているのかもしれない。日常の様々なシーンで登場するお弁当は活力とぬくもりをもたらし、その価値と存在感を高めているようだ。
駅弁屋 祭 グランスタ東京店
東京都千代田区丸の内1- 9-1
JR 東京駅構内 グランスタ東京内
Tel. 03-3213-4353
Text: Mamiko Kume
Photos: Teruaki Kawakami, Masatomo Moriyama, Katsuo Takashima, Akinori Maekawa
Stylist: Yoko Watanabe
この記事は、2021年2月発行の「THE PALACE」Issue 04掲載の内容をベースに、2023年4月現在の情報として掲載しています。2021年の取材撮影時の写真やテキストを使用しているため情報が更新されていない部分もございます。ご了承ください。
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