東京駅から電車で約2時間。埼玉県西部に位置する秩父は、山々に囲まれた自然豊かな地域である。自然と戯れ、また荘厳な神社仏閣や趣ある昭和レトロの建築物を訪れつつ、グルメ、温泉、買い物、アクティビティなどを満喫できる、東京から日帰り可能な観光地だ。江戸時代、秩父は養蚕で栄え多くの豪商を生んだ。大正期には秩父セメントが開業。武甲山で採掘された石灰石の質の高さから、セメントの主要な生産地として近代日本の高度経済成長を支えた。往時の繁栄を物語る家屋や商店は、今も御花畑駅周辺の黒門通り、買継商通りなどに残る。
秩父について特筆すべきは、一年を通じて300から400もの祭りがあるということ。なかでも毎年12月1日から6日に行われる「秩父夜祭」は、ユネスコ無形文化遺産に登録された秩父の冬の風物詩。3日目の大祭では、屋台囃子が鳴るなか、豪華絢爛に飾りつけられた2基の笠鉾と4基の屋台が、市中を勇壮に曳き廻される。こうした伝統が連綿と続いているのは、人々の自然への畏敬の念と、篤い信仰心の賜物である。
秩父連山は東京都、群馬県、山梨県、長野県、埼玉県にまたがる一大山脈。“王者”の名を持つ金峰山はじめ、標高2500m級の名山が連なるエリアである。富士山の眺望にも優れており、トレッキングや登山をする人々を年々歳々迎え入れている。
江戸時代より、秩父の温泉地には湯治客や秩父三十四箇所霊場の巡礼者が押し寄せ、賑わいを見せていた。現在も秩父郡市には多くの温泉宿が点在。山とセットで楽しむ人も多い。
秩父の中心地から西へ車で向かうこと約1時間。蛇行する山道を右左に体を振られながら車で30分ほど登ると、三峯山の懐に抱かれた「三峯神社」が現れる。ここは標高1100m の神域だ。三峯山は山岳信仰の対象とされ、熊野の修験道とのつながりもあるという。見晴らしがよければ、境内からは神社の名の由来となった雲取山、白岩山、妙法ヶ岳の3つの峯を望むことができる。
秩父神社、宝登山神社とともに秩父三社のひとつに数えられるこの神社の由緒は古い。東国平定に遣わされたヤマトタケルが、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て碓氷峠に向かう途中、三峯山に登り、山川の清く美しい様を見て、国生みのイザナギノミコトとイザナミノミコトの二神を仮宮に祀ったことに始まる。
文武天皇の飛鳥時代には、修験の祖・役小角が伊豆と三峯山を往来して修行したと伝えられ、この頃から修験道が始まったものとされる。
境内の入口には、日本でも数少ない「三ツ鳥居」。その近くには狛犬ではなくオオカミの像が祀られている。謂われは、ヤマトタケルの道案内をしたのがオオカミだったことに由来する。
近年は屈指のパワースポットとして全国から参拝に訪れる人々が絶えない。1661年に建てられた春日造りの本殿・拝殿は極彩色の彫刻が見るものを圧倒する。そのほかにも下界を一望できる遥拝殿、樹齢800年の御神木、縁結びの御利益があるとされる「えんむすびの木」など、境内には見どころも多い。
霧が立ち込めればいっそう霊験あらたかな様相となり、神聖な空気が参拝者の心と体を清めてくれるようである。
春夏秋冬、自然の変化に富む秩父。春は桜、ポピー、ツツジなどが咲き誇り、見るものを魅了する。
4月中旬から5月上旬は羊山公園の芝桜が見頃。約1万7600㎡の広大な「芝桜の丘」には、10品種40万株以上の芝桜が、ピンク色の絨毯をつくる。園内には棟方志功の作品を中心とした「やまとーあーとみゅーじあむ」や市街地を一望できる「見晴しの丘」、羊たちがゆったりと草を食む「ふれあい牧場」もある。
秋の秩父は燃えるような紅葉が美しい。その美しさは夏と冬の寒暖の差が激しいことに影響されている。ことに長瀞では、澄んだ川の水面と紅葉のコントラストが情緒を醸す。
秩父屈指の景勝地である長瀞は、大正時代に国の天然記念物に指定された荒川沿い約6km の渓谷である。地表に露出した岩畳は、幅約80m、長さ約500m に及ぶ広大な一枚岩の自然岩石。多くの学者が観察のため足を運ぶことから、一帯は「地質学発祥の地」とも呼ばれている。畳を重ねたように平らで歩きやすいので、ウォーキングやピクニックを楽しむ人々の姿も多く見られる。
船頭が漕ぐ和船で川を下りながら、雄大な渓谷美を堪能するのも一興。船頭によるガイド付きで、岩畳ほか自然の造形をのんびりと眺めながら周遊することができる。より強い刺激を求める人には、ラフティングやリバーカヤック、SUPなどがおすすめ。
熊谷駅から三峰口駅を約2時間40分で走る「SL パレオエクスプレス」は、車窓に四季折々の秩父の山河を映す。車輛は1944年に製造されたC 58型蒸気機関車。車内の赤いビロードのボックスシートや木目調の壁が、タイムスリップしたかのような気分を演出する。眼下に長瀞の流れを見下ろす荒川橋梁や、高さおよそ40mの安谷川橋梁の走行はなかなかにスリリング。ダイナミックな山や川の姿と、時にはのどかな田園風景を望む旅は実際よりも短く感じられるのではないだろうか。2022年以降は3月下旬頃から12月上旬の土・日・祝日を中心に不定期運行している。
市内に工場のあるクラフトウイスキーの先駆者・ベンチャーウイスキー社が醸す「イチローズモルト」は、好事家の間ではよく知られた存在。2017年から5年連続で英国「ワールド・ウイスキー・アワード」の世界最高賞ほか数々の賞を受けている。奥秩父のまろやかな軟水を用いて、原料の大麦に一部秩父産を使用、発酵樽は国産のミズナラ材を使うなど、ひとつひとつの素材にもこだわる。熟成は様々なオーク樽の中で3年から数十年。寒暖差のある気候が、より味わいを深める。
手間を省かない製造工程と細かな確認作業により、年間の生産量は40万から50万本程度。これは大手が数日間につくる量に相当。「機械化されていない分、色や味に僅かな揺らぎがあることは織り込み済みです。クラフトウイスキーならではのそうした揺らぎもまた、味わいのひとつとして楽しんでいただきたい」と同社広報担当の𠮷川由美氏は語る。
工場見学や現地での購入はできないが、地元のリカーショップや飲食店などでは扱っている店舗も数多いので、ぜひ味わってみたい。
1890年創業の「阿左美冷蔵」は、長瀞エリアに本店を構える天然氷の製造元であり、かき氷店。秩父山系の伏流水によりつくられた氷は氷室で保存し、供すときに-2℃くらいまで上げることで、ふんわりとした優しい口どけになる。夏場は3時間以上の行列ができるのも納得。
秩父を代表するグルメは多くあるが、「豚みそ丼」はB級グルメの代表格。現在は二代目店主が切り盛りする「ちんばた」は、秩父市内を見渡す高台にある一軒家。自家製ブレンド味噌に漬けた「豚みそ丼」は、群馬産の豚を炭火で焼き上げた香り高い一皿。秩父名物わらじカツと豚みその2種を載せた贅沢な「W丼」も人気だ。
秩父の山河が育む清澄な水は、この地の食文化のみならず、歴史、芸術、経済を発展させてきた。自然と人間が共生する秩父。その魅力は人々の心を捉えて離さない。
Text: Hiroe Nakajima
Photos: Shinsuke Matsukawa, Aflo, Photolibrary
この記事は、2022年2月発行の「THE PALACE」Issue 05掲載の内容をベースに、2023年6月現在の情報として掲載しています。2022年の取材撮影時の写真やテキストを使用しているため情報が更新されていない部分もございます。ご了承ください。
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