東京から北に電車で2時間ほどの距離にある「日光の社寺」が、1999年、ユネスコ文化遺産に登録された。日光の社寺とは、日光山内の二荒山(ふたらさん)神社、東照宮、輪王寺にまつわる建造物群と、自然と一体になった宗教空間を指す。奈良時代の僧、勝道(しょうどう)上人が開いて以来、山を神とする山岳信仰の聖地となった。
鎌倉時代にはすでに関東の一大霊場となっていた日光が、新たな歴史を築くのは、徳川幕府を開いた家康が、死後の自身を日光山に祀るようにと遺言したことによる。当初の堂はその後、三代将軍家光により、絢爛たる姿に建て替えられた。
戦乱のない平和な世を願った徳川家康。彼を祀る東照宮は、北極星を背に真南を向いて立ち、自らが築いた江戸の街を、そして今の“東京”を見守る。
日光の街を西から東へ流れるのが大谷川(だいやがわ)だ。中禅寺湖に端を発し、日光山内への入り口には神橋が架かる。大谷川の激流に行く手を阻まれた勝道上人の祈りで、2匹の蛇からヤマスゲ(ヤブラン)が生えて橋となり、川を越えることができたという伝説が残る。修復や架け替えを経て、現在は国の重要文化財に指定されている。
清流に架かる神橋を見ながら聖地に足を踏み入れる。二荒山神社、東照宮、輪王寺の二社一寺は、大谷川と稲荷川の二つの流れに囲まれたところにある。大谷川の北岸に勝道上人が建てた、二荒山大神を祀る祠(ほこら)が二荒山神社の起源となり、本宮神社がある。その後、本社は東照宮の北西に移設。今も境内のあちこちには杉の巨木が立ち、悠久の時間を物語る。
日光東照宮は、祖父家康を崇拝する三代将軍家光によって1636年に建て替えられた。1年半の工期で仕上げるため、絵画や漆、金具などに関わる人も含めると、延べ650万人が従事したともいう。東照宮で目を引くのが華麗な装飾や彫刻。彫刻の題材は、中国の賢人などの人物から、霊獣や動物、鳥類や昆虫、植物、文様まで多岐にわたる。
動物の中で最も数が多いのが虎で、いずれも重要な建物の正面にある。家康の干支は虎だった。次が兎で、これも二代将軍秀忠が卯年生まれだったことと関係がありそうだ。「見ざる言わざる聞かざる」の「三猿」は、神馬のための厩舎の長押の上にある。古来、猿は馬の守り神とされていたという。奥社参道への入り口上にある「眠り猫」は、裏側に雀の彫刻があることから、共存共栄の平和な世を説いているとも読める。おびただしいまでの彫刻や内部の絵画は、その一つひとつに幾重にもなるメッセージを読み解くことができる。
4月、日光の街は華やかさを増す。二荒山神社の弥生祭が行われるのだ。ヤシオツツジで飾り立てられた花家体(はなやたい)が各町内から神社に集まり、二荒山神社、滝尾神社、本宮神社の神輿がわたる。二荒山神社の拝殿では八乙女舞が奉納される。聖地日光に、春が訪れる。
女峰山、大真名子山、小真名子山とともに日光連山をなすのが標高2486mの男体山だ。約2万年前、この男体山の噴火で谷川の流路が溶岩でせき止められ、中禅寺湖が生まれた。中禅寺湖の奥に広がる戦場ヶ原も、もともとは中禅寺湖とほぼ同時期の噴火によって生まれた湖だったが、のちの噴火で埋まり、今のような湿原に姿を変えたという。
標高約1400mにある戦場ヶ原には、湯川に沿った遊歩道や、散策路があり、湿原の植物や野鳥の姿を間近に楽しむことができる。そして、戦場ヶ原のさらに奥には、三岳(みつだけ)の溶岩流にせき止められた湯ノ湖がある。湯ノ湖の北岸にあるのが、やはり勝道上人によって発見されたという湯元温泉で、修験者や旅人の疲れを癒やしてきた。
湯ノ湖の南端には湯滝、中禅寺湖の周りには竜頭ノ滝、華厳の滝をはじめとする数々の美しい滝がある。温泉、湖、湿原、滝……。いろは坂より上になる奥日光の絶景は、古代の火山活動と豊かな水、急峻な高低差によって生まれたといえる。
男体山の山裾に広がる中禅寺湖は、周囲約25kmの大きな湖だ。かつては修験者など限られた人々しか入ることのできなかった地域だが、明治には女人禁制も解かれ、外国人も訪れるようになった。のちに風光明媚な避暑地として各国の外交官や実業家たちの別荘がつくられる。中禅寺湖で釣りを楽しみ、ヨットを操るのが彼らの夏の過ごし方。ヨットクラブ主催のレースが毎週のように開かれ、別荘の行き来や買い物にもヨットが使われるなど、優雅な光景が見られたという。
奥日光の春は遅い。紅色の可憐なアカヤシオの花が咲き出すのは4月の終わりから5月の初め。そこから、短い夏を惜しむかのように、シャクナゲ、クリンソウ、アヤメが次々に山や湿原を彩っていく。そして10月ともなると、今度は山の奥から市内へ、紅葉が降りてくる。都心からわずか2時間で、一年を通して豊かな自然の表情を楽しめる場所がある。
寺社の祭礼の供物として、修験者たちの食事として、ゆばは日光で大切に食されてきた。1872年創業の「海老屋長造」は、かつては御用邸にも献上した老舗のゆば店。今も大豆をふやかし、豆乳をつくるところからのゆばづくりを続ける。「海老屋さんのゆばがあったから、この店を始めたようなものです」と話すのは、日光街道沿いに「和み茶屋」を開いた村松隆次氏。ゆば懐石は、ひきあげゆば、揚巻ゆばを中心に、デザートまで9皿からなる。巻いたゆばを揚げた揚巻ゆばは、一度油抜きをしてから、ほんのり甘みのある出汁をじっくりと煮含める。歯応えを保ちながら、ふっくらと味が染み込むのは適度な薄さとコシのあるゆばがあってこそ。
日光の歴史を感じる食はもうひとつ、避暑地日光を愛した外国人ゆかりの洋食だ。東照宮のそば、木立の中に建つ石造りの洋館は、アメリカ人実業家の住まいだったもの。戦時中には、外務大臣重光葵が疎開していた。その建物の雰囲気を生かして、1977年「西洋料理明治の館」として生まれ変わった。明治時代に日光で過ごした外国人たちの暮らしに思いを馳せた洋食メニューを揃えている。なかでも人気はオムレツライスとチーズケーキ。オムレツライスに添えた自慢のデミグラスソースは、フォン・ド・ボーやワインを加え、練炭の火で2週間かけて煮詰める。小麦粉を使わないベイクドチーズケーキはサワークリームの層を添えて、さわやかでなめらかな舌触り。「ニルバーナ」の名で親しまれる。ともに、40年変わらず守ってきたレシピだ。
奥日光まで足を延ばそうという人には、湯滝を眼前にする「湯滝レストハウス」が嬉しい。炉端で鮎や団子を炙ってくれる。香ばしく焼けた団子は、自家製の柚子味噌が風味を加える。湯滝のマイナスイオンを思い切り浴びた後であつあつを頰張るのは、素朴で格別なおいしさだ。
歴史と自然。日光は、訪れるたびに新たな旅の魅力を教えてくれる。
西洋料理 明治の館
栃木県日光市山内2339-1
Tel. 0288-53-3751
湯滝レストハウス
栃木県日光市湯元2499
Tel. 0288-62-8611
冬季~4月半ばまで休業
Text: Kimiko Tagawa
Photos: Kazuhiro Gohda, Aflo, Amana Images
この記事は、2020年2月発行の「THE PALACE」Issue 03掲載の内容をベースに、2023年2月現在の情報として掲載しています。2020年の取材撮影時の写真やテキストを使用しているため情報が更新されていない部分もございます。ご了承ください。
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